T王子の思い立ったら即日記

T王子におきた日常のささいな事を紹介

南京町

朝でも夜でもコンニチハ!

T王子です(゚Д゚;

 

昨日仕事で神戸に行ってた事をブログで書きました。

道に迷った事ですが、知らない間に有名な南京町にも来てたんです( ´艸`)

 

■ウィキさん頼りのT王子地域紹介~■

 南京町(なんきんまち)は、神戸市中央区元町通栄町通にまたがるエリアの通称で、正式な地名ではない。南京町商店街振興組合の登録商標[1]でもあり、中国風の意匠を特徴とするチャイナタウンである。

横浜中華街長崎新地中華街とともに日本三大チャイナタウンの一つに数えられ、東西約200m、南北110mの範囲に100あまりの店舗が軒を連ねる。店頭の路上で点心スイーツ、食材、記念品などを売る店も多く、休日は地元の買い物客や観光客で賑わう。

南京町」という用語はかつて中国人街を指す一般名称であった。しかし、そのほとんどは戦後に改称したため、現在では事実上神戸のこの地区のみを指す固有名詞となっている。

南京町の中央通りは、十字路になっていて中央の広場には「あずまや」、東は「長安門」、西は「西安門」、南は「海栄門」という名前の門があり、北は元町商店街につながる。

午前10時頃から一部の店が開き始めるが、車両通行禁止になる午前11時までは納品車両が行き交うので、それまでは歩行には注意が必要である。

日が暮れて夜になると「長安門」や「あずまや」はライトアップされる。

 

1868年神戸港が開港し、外国人用の居留地が設けられた。当時、清国との間には通商条約を結んでいなかったため、華僑は居留地内に住むことを許可されずに、西隣に住み始めたのが南京町の始まりとされる。

1945年神戸大空襲で全焼。戦後は主に進駐軍相手の歓楽街として復興したが、その名残もあって退廃化が進み、1970年代までは路地の舗装もされず、周辺には船員向けのバーが立ち並び、夜になれば街娼が立つようなエリアとなっていた。1960年台には純粋な中華料理レストランが1軒まで減少したこともあった。

1981年(昭和56年)の「南京町復興環境整備事業実施計画」以降は広場や楼門の建造などの環境整備が行われ、一気に観光地化が進んだ。現在では南京町と呼ばれる区画も当時の2倍に広がり、他地区から移転してきた中華料理店や新しい料理店が続々と開店した。また、それまではほぼ華僑だけが客だった中国物産の店に、一般客が訪れるようになったのもこの頃からである。

阪神・淡路大震災においても被害を受けたが、皮肉にも現在のように一般観光客が多数押し寄せるようになったのは震災が契機である。震災後ライフラインが停止し厨房も被災した中で、レストランの営業ができなくなった一部の店は、やむを得ず店頭での点心などの軽食テイクアウト販売を、プロパンガスとポリタンクの水を使って再開した。これが観光客にとって気軽に食べ歩きができるとして好評を博し、震災から完全に復興した後も継続されて、現在でも南京町の名物となっている。

 


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色々と誘惑が多いなか、メジャーな豚まんを食べました!

残念ながらお店の撮影はダメだったので載せれませんが、

 

 

 

めっ~ちゃ~、うまかったです!!

雰囲気もあったんでしょうが、久々の豚まんに感動しました(・∀・)

今度家族で来ようと思います!

 

 

では×2